雨が降っていた。
こんな日に、彼の父親は息子を駅まで送るために、やはりこうして車を走らせたのだろう。 昨日、亡くなった友人宅の車に揺られて駅に向かう道すがら、僕は掛けるべき言葉もみつからずひたすら雨を眺めていた。 望みを託せる何ものかがなければ、おそらく人間は生きてゆけない。 それは自分自身のことかもしれないし、他の誰かのことかもしれない。いずれにしても、生きている限りは何かに望みを託さずにはいられない。その望みは絶えず形を変えながら、ときには消えたり新たなものが現れたりしながら、それでも間違いなくそこにあって、そうした連続が人生を過ごす動機になる。 しかし、ひとつのことが長く続けば続くだけ、それは未来永劫続くもののように思われ、失われることなど思いもよらなくなってゆく。 にもかかわらず、その基盤はおそろしくあやふやで頼りないものだ。 それでも、はじめからなければ良いとは思わない。それは、あるときまで間違いなくそこにあって、人生のある期間を支えるもののひとつなのだ。 だが、それは誰にとっても等しくそのように思えるものとは限らない。ましてや、気が遠くなるほど長い時間、それが人生そのものであったような対象を失った経験は、僕にはない。 だから、僕は何も言えずに雨でも見ているしかなかった。 一年前、浜辺で友人の亡骸を目のあたりにしたとき、僕にはそれが現実感の希薄な出来の悪い書き物のように思われ、泣くことも悲しむこともできなかった。何の理由があってこんなことが起こるのかまるで理解できなかった。 そこに理由などない、ということが少しだけわかってきたのは、ようやく最近のことだ。 失われたものは二度と戻ってこない。期待をかけて待っていても、それが誰かの手であがなわれることはない。 ただ、別のものが生まれたり、ふたたび消えたり、というようなことが、望むと望まざるとにかかわらず、これから先も繰り返されるのだろう。そうやって、生きるための動機を絶えず探し続けるのだ。 夏の終わりが近づいてきて、暑さと疲れで意識が乱れると空が高くなったように見える。 ときどき、一年前のあの日に旅客機の爆音が鳴り響き、冗談みたいに真っ青だった南国の空を思い出す。
by tatsuki-s
| 2004-08-23 03:06
| Talking(よもやまばなし)
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