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飲酒日記

スキー&スノーボード2004-2005

ある石像職人の話

 妻に先立たれた男があった。
 男はすぐれた石像職人であったが、その手は、妻を失った嘆きのあまり酒に震え、力強い喜びに彩られた神々の姿を掘り出すこともなくなった。
 これを憂いた主神は男の元へ使いをやった。これは主神の子のうちのひとりであった。
 使いの者は男に言った。
「私が黄泉の国にあるお前の妻の元へ手紙を届けよう」
 男は、使いの者の言葉にひどく心を惹かれながら問うた。
「あなたがそれを本当にできるというのならば」
「ならば、見よ」
 使いの者は柄に二匹の蛇の巻き付いた杖を男に示した。男はそれを見て驚き、それでは妻に届けてもらいたいものがあると告げた。
「ただし」
 使いの者は男を制するように言った。
「ひとたび黄泉路をくぐり抜けた記憶は二度とお前の元には戻らない」
「私が伝えたいと思うただひとりに届くのなら失われてもかまわない。さもなければ、それはないも同然のものだ」

 男の言葉とはその鑿によってつむがれるものであり、その手紙とは石像であった。
 まず男は、出会った頃の最も美しい面影を彫りつけた。石像はさながら生けるがごとく立ち、幸福な喜びに満ちあふれて男に微笑みかけた。使いの者はその出来映えに驚嘆し、これを早速男の妻の元へと持ち帰った。
 男は次に、妻として迎え入れた日の甘美な瞬間を寸分違わず大理石にうつし取った。それから、苦しみを分かち合った記憶を形にした。
 ひとつずつ石像を仕上げるたびに、男の記憶からその姿は失われていった。

 そうして石像を彫り続けるうちに三年が過ぎた。
 男はもはや自分の妻の姿をほとんど覚えていなかった。自分が誰のためにそれをするのかも稀にしか思い出せなくなっていたが、それでも残ったわずかな記憶を頼りに彫った。
 病魔に冒されやつれ果てた透き通るような最期の笑顔をたたえた女の石像を彫り上げたとき、男は妻についてのすべてを忘れた。
「これでもう、私のすべきことはなくなった」
 使いの者は男から最後の石像を受け取ると目の前から姿を消した。そして、黄泉の国に最後の石像が届いたとき、男はそれすらも忘れてしまった。
 あとには、何かを成し遂げたという思いと、それがなにかわからぬが、大切なものをなくしたという正体のない悲しみだけが残った。

 以来、男の彫る石像はどれも、えもいわれぬ憂いを帯びて美しく、記憶のどこにもない面影をもどかしく追い求めるように、見る者の目によってさまざまに映った。それはまさしく、この世のものならざる悲しみに満ちた神秘的な彫像であった。

 それらの石像は神々に捧げられ、神々は大いに喜んだ。
by tatsuki-s | 2005-01-14 01:58 | Anecdote/Pun(小噺・ネタ)
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