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飲酒日記

スキー&スノーボード2004-2005

合理主義者と合理主義者

 男はこの地区にある3つの工場と1つの営業所を視察して本社に帰るところだった。

 駅に向かう途上で、貧民街に近い場所にある酒場と宿屋を兼ねたような店で昼食を採ることにした。休日の昼間ということもあり、店の中は労働者の男たちばかりでなく、その家族でもごったがえしていた。

 男の勤務する会社は、主に小規模の工場や町工場向けに、それなりに複雑ではあっても判断を必要としない作業に従事する、いわゆる「作業型ロボット」を生産し、産業的に後進の地域における販売とメンテナンスによってここ数年で爆発的に成長した企業だった。

 男はその本社の業務査察官という役職にあり、しばしばこういった工業地帯における査察と業務改善の企画提案のために、年のうちの8割は本社のある首都を離れて各地域の工場を飛び回っていた。

 速やかに食事を済ませて予定していた臨時特急で本社に戻ろうとしていた男は、ふと、隣のテーブルの親子連れに意識を惹かれた。

 夫は労働者風。口数は多く、教育は至らないもののそれなりの知性の持ち主のようだった。妻はとりわけ目立つタイプでもないが、職業に就いている女性に特有の緊張感がある。娘は年の頃で3歳くらいだろうか。

 会話のはしばしから察するに、彼らは男の会社で現地採用の営業をやっている夫婦とその娘のようだった。大小さまざまな工場が集まるこの地域では、労働人口全体の20%近くが男の会社に勤務しているので、こういうことがあっても別に不思議ではない。

 男の耳は、役職柄ごく自然にその夫婦の会話を捕らえていた。

「…いいんだよ、部品なんか頼んで置かせてもらえば」
「でも、家が狭いからって断られてさ」
「場所がないってんなら外にでもなんでも放ったらかしてもいいからって、とにかく頼むんだよ。それで手当も出るんだから、そうしなきゃダメだろ?」
「でも、それじゃ古くなった部品をたなおろしで回収するときわかっちゃうじゃない」
「ばっか、何言ってんだよ。そんなもんお客さんのことなんだから、会社だって俺たちに文句なんか言わねえよ。それより、ノルマはちゃんとクリアしなきゃダメだろ」
「うん…そうだね。わかったよ」

 客先に交換用のパーツをストックしてもらうことに対して、営業担当者に一定の手当を支給する制度の意味は、故障時の迅速な対応と緊急にパーツを調達するコストの低減のためであって、決して客先に不良在庫を分散して抱えることではない。

 一体、この男はその目的を理解して言っているのだろうか?

 男は、社内教育制度と地方営業における管理体制の問題点について思考をめぐらせつつ、労働者向きの安価なわりにやけにボリュームの多い定食をもそもそと食べながら、なおもその会話に耳を傾けた。

 夫のほうは言いたいことを言いつくしたのか、夫婦の話題はいつのまにか自分たちの娘に移っていた。

「やっぱり、話し始めるとどんどんかわいくなるよな」
「もう…この子まだそんなに喋んないのよ?」
「なあおい、お父さんお前ともっと話したいなあ!」
「ん…」
「来るときもずっとお外ばっかり見てあんまりお話してくれなかったね?」
「ほら。お父さん、お話したいって」
「今日は出かけるまえに遊んでただろ? 誰と一緒だったんだ? え?」
「んーとね、○○ちゃん」
「おーーっ、そうかそうか!」

(ああ、そうか…)

 男は、不意に理解した。

 彼らは目的を知らないのではない。ただ、この夫婦にとっての目的とは、自分たちの娘を養い、この不幸と貧困に満ちた世界から守り抜くことなのだ。

 そのために日々の賃金を稼ぐことに比べれば、その制度の持つ意味など、おそらくは遠い世界の出来事のようにどうでもよいことなのだろう…。

「今日は何して遊んでたんだ? えぇ?」
「えーとね…。えーーっと…」

 周囲の喧噪のなかで、そこだけが切り離されたように見えた。男は、胸の底から熱いものがじわりと広がってゆくのを感じていた。

 男はその光景を眩しそうに見つめながら、うっすらと考えていた。

 本社に戻ったら、ノルマの達成についてもう少し厳密な基準を提案しなければならないな…。
by tatsuki-s | 2004-10-19 00:11 | Anecdote/Pun(小噺・ネタ)
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